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島の歴史と文化
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伊良部島抄史

島のなりたち〜神話の時代

150万年〜60万年前

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この頃の宮古島や伊良部島は、大陸と陸続きでシカやイノシシ、ハブなどが大陸から渡って来た。

5万年〜6万年前

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陸地の隆起運動が活発になり、宮古島や伊良部島は八重山諸島や大陸と離れて島となる。

2万年前

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再び、宮古島や伊良部島は大陸と陸続きに。 長山のカナマラアブで、人骨(2万年程前)やノロジカ、ミヤココキクガシラコウモリなどの化石が出土。佐和田の大竹中洞窟で、2〜3万年前のミヤコノロジカの化石が出土。

1万年前

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地殻変動によって宮古島や伊良部島は、八重山諸島と離れて現在の地形となる。


村落の成立〜村立ての時代

1310年(延慶3年 鎌倉時代)

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宮古島の久貝から対岸の牧山へ移住し、伊良部島に字伊良部集落が村立てされる。

1457年(康正3年 室町時代)

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佐和田・屋越に西村が出来る(佐和田集落の成立)。

1503年(文亀3年 戦国時代)

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現在の字伊良部にブーンミャを設置する(村番所)。

1535年(天文4年 戦国時代)

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平良の頭の仲宗根玄屯と、下地の頭の真普武殿による二頭制となり、間切制度が確立する。

1611年(慶長16年 江戸時代)

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新たに砂川(うるか)間切をおき、平良間切、下地間切の三頭制となる。
伊良部は下地間切に属したが、一部は平良間切であったとの説もある。池間は平良間切に属した。

1637年(寛永14年 江戸時代)

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薩摩支配下の琉球王国により、宮古島・八重山諸島において人頭税が制度化される。

1686年(貞享3年 江戸時代)

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佐和田村で人頭税に抗議する農民の集会が行われる。
この頃、多良間を含む各地で人頭税に対する抗議集会が多く開かれた。

1720年(享保5年 江戸時代)

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池間島から移住し、佐良浜集落が形成される(池間民族の分村)。

1766年(明和3年 江戸時代)

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人口が激増し、仲地・長浜・前里の三村落が誕生する。

1771年4月24日(明和8年3月10日 江戸時代/乾隆36年)

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八重山大地震が発生し、明和の大津波が先島各地を襲う。伊良部島にも津波が襲来。


激動する島の暮らし〜変革の時代

1872年(明治5年)

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琉球王府から琉球藩へ(第一次琉球処分)

1879年(明治12年)

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沖縄県設置(第二次琉球処分)

1893年(明治26年)

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農民たちが結束し、人頭税廃止運動が本格化。中村十作ら請願団が東京へ。

1903年(明治36年)

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270年間に渡り続いた人頭税が廃止される。

1905年(明治38年)

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伊良部でのサトウキビ黒糖製造始まる。

1908年(明治41年)

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「沖縄県及島嶼町村制」が施行。
間切制度が改められ現在の基礎となる町村区割が実施され、伊良部島と下地島は宮古郡伊良部村となる。

1909年(明治42年)

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佐良浜でカツオの一本釣り漁業が始まる。

1929年(昭和4年)

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南方漁業(ボルネオ方面)が始まる。

1940年(昭和15年)

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伊良部丸が遭難し、この事故で73人が死亡。
当時、渡口と平良を結ぶ航路があり、強い季節風にあおられて転覆沈没した。

1944年(昭和19年)9月

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日本軍が伊良部島へ展開。
伊良部への駐屯数はおよそ4000。当時の島の人口の約半数近く来島した。

1945年(昭和20年)

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太平洋戦争、終戦。

1962年(昭和37年)

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伊良部製糖が操業を開始(後に宮古製糖、宮多製糖と三社合併して宮古製糖伊良部工場となる)。

1970年(昭和45年)

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南方諸国と日本政府が漁業協定。ソロモン、ボルネオ、パラオなどへ進出。
(1980年には南方の生産額が59億円、県内水産業の67%、総生産額の20%を占める)

1972年(昭和47年)5月15日

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沖縄県が日本に復帰する。


未来へのかけ橋〜新・離島の時代

1979年(昭和54年7月5日)

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下地島空港が開港。那覇との間に定期航空路が運航されていた時代も。
(南西航空:1980年〜1994年、エアードルフィン:2007年)

1982年(昭和57年)

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町制が施行され、宮古郡伊良部町となる。

1984年(昭和59年)

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沖縄県立宮古高等学校伊良部分校が開校する。

1986年(昭和61年)

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宮古高校伊良部分校が、沖縄県立伊良部高等学校となる。

1996年(平成8年)

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佐和田の浜が「日本の渚百選」に選ばれる。

1999年(平成11年)

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「ロマン海道いらぶマラソン」が始まる。

2000年(平成12年)

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「伊良部トーガニまつり」が始まる。

2005年(平成17年10月1日)

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平良市と、宮古郡城辺町、伊良部町、下地町、上野村の5市町村が合併して宮古島市となる。

2006年(平成18年3月)

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伊良部大橋起工。
完成・開通予定は2013年3月であったが、2008年に設計変更で1年延期。2012年に天候不良による工事遅延で、2015年1月末に再び延期となった。

2013年(平成25年1月14日)

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モンゴル船籍のタンカー船が荒天により白鳥岬近くで座礁。現在も撤去されぬまま座礁している。

2015年(平成27年1月31日)

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伊良部大橋開通。
橋梁の延長は3540メートル。取り付道路を含む総延長は6500メートルに及ぶ。

atalas network 調べ(2015)



佐良浜の神願い(ニガイ)

『ユークイ(豊年祭)』
47歳から57歳までの島の女性たち(ユークインマ)が2日間かけて豊穣を祈る。

ユークイr ユークイ

『ハマニガイ』
海の神様に豚一頭を供え、航海の安全と豊漁を祈る。

ハマニガイ ハマニガイ

島には、ツカサによるニガイ、個人でおこなうニガイなど、数多くのニガイがある。神ごとには禁忌も多く、それらは関係者により厳しく守られている。



佐良浜の民謡

「佐良浜のぴゃりま」

ハイヨノカナス  サラハマノ ピャリマヨ ハイヨノカーナス
(よびかけ)  佐良浜の 潮まねき

ハイヨノカナス オリムツノ メダカヨ
        下り道の めだかよ

ハイヨノカナス スタノヤ ウイノヤ アリイオトイイ
下の屋上の屋 あっていて

ハイヨノカナス ソウノムテバ ウイノヤー
        潮が満てば 上の家

ハイヨノカナス ソウノピサバ スタノヤー
        潮がひけば 下の家

ハイヨノカナス ウイノヤンナ イオリイオトイ
        上の家には 上がっていて

ハイヨノカナス オトザジャナ オゴナリー
        兄弟どうしが 集まって

ハイヨノカナス カナシャテァナ オゴナリー
        親しいものどうし 集まって

ハイヨノカナス ヨガタリバナスノ イデソヨ
        昔話が 出るよ

ハイヨノカナス イビガンドムマド スデリャモノ
        エビガニでさえも 脱皮するそうだ

ハイヨノカナス アオカンデャムド ムキリャムノ
        岩ガニでさえも 生まれ変るそうだ

ハイヨノカナス ドヨタガ スデンチャ ニャーンヨ
        私たちが よみがえらないことはないよ

ハイヨノカナス オトザノ スディンチャ ニャーンヨ
        兄弟どうしが よみがえらないことはないよ



「たびぱいのあやご」 航海安全の歌

オイテンノ ヤゴミウイノ ミオブキヨー タオティ
天の 尊い神様の おかげに おねがい

カギタビノ チュラタビノ アヤゴソイイ タオティ
安全な旅の 美しい旅の 唄もろともに おねがい

カギタビザァヨー ヌヌヤパイイ イツウヤパイイ タオティ
安全な旅は 布を敷いたごとく 絹を敷いたごとく おねがい

ヌヌガウイカラ イツウガイ カラテイヨー タオティ
布の上を通うように 絹の上を通うように おねがい

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平成26年度地域観光資源創出支援事業
Copyright © 2014 伊良部島 海の暮らしツーリズム共同事業体[伊良部漁業協同組合 一般社団法人 宮古島観光協会]

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